武井靖さん

移住というより隣町に行くような感覚でもっと気軽に行動してほしいですね。

写真:武井靖さん1

Profile

武井 靖 さん(たけい やすし)埼玉県出身

移住歴6年 職業Webデザイナー

埼玉県で生まれ育った武井さんは、東京都内の専門学校を卒業後、都内の広告制作に就職。26、7歳の頃にフリーランスに転身して以来、HP制作などのWebデザイナーとして活動を続けている。

「移住先を探している最中、たまたま東京ビッグサイトで移住フェアをしているのを知ってどんなところがあるんだろう?と興味本位で行ってみたんです」

と話すのは、Webデザイナーの武井さんだ。
埼玉県で生まれ育った武井さんは、東京都内の専門学校を卒業後、都内の広告制作に就職、26、7歳の頃にフリーランスに転身して以来、HP制作などのWebデザイナーとして活動を続けている。

武井さんはリモートワークやワーケーションという言葉が定着しつつある昨今よりずっと前から、自分の興味のある街に住みたいと思っていたそうで、日本のみならず上海に移住した経験もあるのだとか。そんな武井さんが小矢部市と出会い、移住するきっかけは何だったのだろう?

「上海から帰国後、地方の文化に関心が沸いて日本中を旅行しました。いろいろな土地に行きましたが一番多く足を運んだのが北陸だったんです。多いときは年に4,5回も」。

北陸は祭りが多く古い街並みが健在なところに惹かれたそうで、

「東京ビッグサイトに行ったとき、富山県は小矢部市が地域おこし協力隊を募集していたんですよ。そのとき初めて地域おこし協力隊という制度があることを知りました。そういう移住の方法もあるのかって…」

写真:武井靖さん2


地域おこし協力隊とは、地方で地域外の人を受け入れ、実際に住みながら地域発展のために協力してもらい、定住・定着を図ることを目的とした制度のことだ。
ビッグサイトでこの制度を知った武井さんは自分でもいろいろ調べたり、市役所にわからないことは聞いたりしながら他の自治体と検討を重ねた結果、東京に行き来しやすいことと、兼業が可能だったことが決め手となり小矢部に申し込んだ。
採用決定後は市のサポートで物件も決まり、迷ったり悩んだりした記憶はなかったそう。新たな生活を始めながら協力隊の褒賞費も入り、今までのWebデザインの仕事もできるのは、収入の面から考えてもメリットだったに違いない。

今までと小矢部に来てからの暮らしで変わったことを聞いてみると

「埼玉に住んでいたときも打合せで都内に出向く程度でほとんど家で作業していましたし、今もほとんど変わらないですね。先方から10時から打合せをお願いしたいと言われても早朝にこちらを出発すれば間に合いますし、15時にはもう小矢部の家に着いていることも。新幹線を使えば日帰りどころか半日で行って帰ってこれます。隣町に行くような感じです」

と武井さんは笑う。

「移住前は自炊もよくしていましたが、こっちに来てからは外食が増えました。定食屋も総菜屋も本当に美味しいんですよ。驚いたのはスーパーで売っている刺身の旨さ。今まで食べていた刺身は何だったんだろう?って真剣に思いましたから」。

趣味のひとつが登山ということもあり、立山や乗鞍といった名峰へも車で1時間半ほどで登れる場所まで行けるところも大きな魅力のようで

「散歩や運転中など、立山が一望できるんですよ。これは都会では見れないですよね」

と話す。

これまで小矢部という土地には縁もゆかりもなかった武井さん。地域おこし協力隊の活動を軸として地元の人たちとのつながりも徐々に増えていき、任期を終え2年経った今では、仕事の割合が東京と富山で5:5までになった。

「都会の場合、仕事で知り合ったらそこで完結してしまいがちですけど、こちらは人とのつながりに垣根がなく広がりやすい気がします。仕事というよりは人対人という感じですね。例えば、〆切に間に合わなそうなとき事情を説明すると、少しくらい大丈夫やちゃ!とおっしゃっていただける。それに甘えてはいけないんですけどね」。

なんとも自然に富山弁が出てくるところに、小矢部での暮らしの充実ぶりが伺えた。

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