岡村光晶さん
社会人になってもホッケーが続けられる環境がここにある。
熱い想いのある人の受け皿的な存在になりたい。
Profile
岡村 光晶 さん(おかむら みつあき)兵庫県出身
移住歴11年 職業市役所職員(RED OX 広報)
兵庫県で生まれ、小さい頃から陸上に打ち込み、大学は体育学部のある大学を選び愛知県へ。そこでホッケーという競技と出会う。
ホッケー愛が強く、ホッケーの街小矢部に移住を決める。
現在は市職員として働きながら、ホッケークラブチーム【小矢部RED OX】の広報担当として活躍している。
兵庫県で生まれ、小さい頃から陸上に打ち込み、夢は体育の先生になることだったという岡村さん。大学進学のときも、体育学部のある大学を選び愛知県へ。そこでホッケーという競技と出会ったそう。
県立武道館の体育施設でスタッフとして働き、教員の勉強をしながら県内のホッケーができる場所に通う日々を続けるうちに、県内だけではなく隣りの鳥取県や岡山県など、県をまたいでホッケーの練習に参加するようになっていく。
そんな中、練習に参加しに行っていた鳥取県のチームのトッププレーヤーが、小矢部REDOXホッケーチームとつながりがあったことで、運命が大きく変わることに…。
小矢部REDOXとつながりがもてたことで、練習や試合があると、兵庫県から遠征して参加するといった日々が1年間ほど続いた頃、監督から「小矢部に来る気があるなら雇ってもらえる場所を探してあげようか?」と声をかけられ、ついに小矢部に移住することに。
もちろん、教員の夢を簡単に諦めたわけではない。
小矢部に移り住むことになった背景には、奥さんの影響も大きかったそう。
小矢部に移住してからはトントン拍子で結婚が決まり、3人の子どもにも恵まれ充実した生活を送っている岡村さん。
移住に関して、不安や困ったことはないのだろうか?
と笑い、
と岡村さんは話す。競技人生を引退し、現在はチームの広報として活動を始めたからこそ出る言葉だ。
今までの話を聞くとホッケーだけのようだが、岡村さんの地元も川が街を流れており、小矢部市と風景が似ているというところも馴染みやすかったようだ。
と岡村さん。
子どもたちも地元の定食屋が大好きだという。ご近所付き合いも良好で、温かい目で子どもたちを見守ってくれていることも安心のようだ。
岡村さんは、家を建てるときの条件として駅の近くと決めていたそうで、田舎の良さも感じつつ交通の便の良さもあるところが丁度良いのだと話す。
ホッケーの想いだけで移住を決めた岡村さんだが、小矢部市に住み始めて今年で11年目に突入する。
今後は、自身の経験も踏まえてホッケーと小矢部をもっと広めて街自体を盛り上げていきたいと話す岡村さんは、期待に胸を膨らませている。